―― 夜中に自分の悲鳴で目が覚めて・・・・震える手で携帯の短縮番号を押していた。 数回のコールの後に聞こえた求めていた声に言葉を失っていると、彼女は「今すぐ行くから」と言って電話を切った。 call 真夜中の空気はどんな季節でも少しひんやりとしている。 その空気に包まれながら、優は自分のアパートの玄関脇でうずくまるようにして立っていた。 祈るように組み合わせた手が小刻みに震える。 それは夜の空気のせいではなく、先刻の夢のせいだ。 夢であり、記憶 ―― 2年と少し前、一謡の長である真秋を殺した時のあの記憶。 抵抗をするより前に振るった荒神の太刀の切っ先が真秋の身体にめり込んでいく感触。 吹き出した血のなま暖かさ。 視界が一瞬深紅に染まり、真秋がゆっくりと床に倒れる無機質な重い音・・・・ 「っ!」 震えが強くなって優は自分の身体をきつく掴む。 あの時の真相が八咫の仕掛けた事だったとわかったのはつい最近の事だ。 それどころか、九艘と一謡の関係が悪化するような事件の裏で糸を引いていたが八咫の仕業だとわかって、危うい感じがあった九艘と一謡の間の緊張感も少しづつ緩みつつある。 追放されていた水季も郷へ戻り、秀一と共に一謡の一族を納める仕事を始めた。 ―― それでもなお、優は夢に苛まれる。 かつて八咫の血に狂わされていた頃のような精神を酷く苛むようなものではないけれど、あったことが夢になって現れるのだ。 頻繁ではなくなったけれどこうして時々でも夢に見るのは、己の罪への断罪なのだろうと優は思う。 (・・・・誰も何も言わなくなっても、赦されたわけじゃない・・・・) 水季や秀一、片瀬が何も言わなくても優自身の罪はなくなったわけではないから。 震える手を握りしめて、優はうずくまった。 こうして震えが収まるまで闇の中で己が罪に苦しみながらやり過ごすのが今までの今までの常だった。 そう・・・・今までの。 「優!」 真夜中の静寂を破って耳に飛び込んできた声に、優は弾かれるように顔を上げる。 ぽつりぽつりと灯りを落とす街頭の下を一人の少女―― 柏木きらが走ってくる所が目に入った。 あんまり急いでいたせいかいつも高く括っている髪は下ろしたまま肩のあたりで走るたびに跳ねている。 その姿を見つけた途端、全身を包んだ安堵感に優は力が抜けたように座り込んでしまった。 「優!?」 慌ててスピードアップして駆け寄ってきたきらが息を弾ませて優の前に膝をつく。 「大丈夫!?」 心配そうに覗き込んでくる気配と、声がくすぐったくて優は形だけ苦笑した。 「・・・・きら」 「うん、どうしたの?」 「・・・・走って来たのか?」 「え?あ、うん。」 予想外の事を言われたのか、一瞬きょとんとしてきらは頷いた。 「ばかだな。間違いでかけたんだったらどうするんだ。」 つい癖でころっと零れ出た憎まれ口に、きらは眉を寄せた。 怒り出すだろうか、と身構えたのは僅かの事。 すぐにきらは心外というようにむっとしたまま言い返してきたから。 「だって優、呼んでたでしょ?」 「え・・・・」 「私の事。呼んだでしょ?」 ―― ああ、なんて神というやつは気まぐれなんだろう。 罪を忘れるなと断罪する一方で、こんな救いをもたらしてくれた。 「きら」 たった二文字、紡いだ名前に愛おしさが籠もる。 それに気が付いていないのだろう、きらは首を傾げる。 その普段気の強い彼女の少し幼い表情に、自然と笑みが浮かんだ。 「何?私、変な事いってないよね?」 「ああ。・・・・そうだ、呼んだ。」 口に出してそう言うと、きらは満足そうに頷いた。 「ほらね。やっぱり。」 「ああ。」 何故こんな真夜中に呼んだのか、とはきらは聞かない。 たぶん予想は付いているのだろうし、だからこそ必死で走ってきてくれたのだろうと思うけれど。 「お前に・・・・会いたかった。」 ごく自然に思っていたとおりの言葉を口に出して、すぐに優はしまったと思った。 真の理由はお互い分かっているにせよ、夜中に電話をかけて会いたいと恋人を呼び出す・・・・妙に甘ったるい行為のようだ。 おそらくきらも同じ事を考えてしまったのだろう、中途半端に口を開きかけたまま止まっている。 「あ、いや・・・その、会いたかったっていうのは・・・・会いたかったんだが・・・・・あ・・・・・」 誤魔化そうとしても、なにぶん会いたかったのが本当の気持ちだけになんとも誤魔化せず何度か口をパクパクさせた後、優はがばっと立ち上がった。 「と、取りあえず上がってお茶でも飲んでいけ!」 「え、あ・・・・うん。」 頷いたきらを立ち上がらせるために、優は手を差し出す。 一瞬、その手に赤い残像が見えてこんな手できらに触れて良いのかという思いが過ぎった。 けれど、優が手を引っ込めるより先にきらの手が躊躇わずに重ねられる。 優の手より少しだけ小さいその掌は酷く温かくて、優は思わず泣きたくなった。 真秋の命を奪った手にはきらの手は優しすぎる。 それでもきらが側にいて、こうして手を差し出してくれているなら苦しい記憶を抱えたまま、それでも少しづつ前へ進んでいけるような気がした。 優は預けられたきらの手をゆっくり引いて彼女を立ち上がらせる。 そしてその手を離すことなく自分の部屋に向かって歩き出した。 「・・・・きら」 「ん?」 「・・・・ありがとう。」 ―― いつの間にか、震えの収まった掌をきらの手がぎゅっと握った。 〜 終 〜 |